本日も… カフェの稽古でした。
…( ̄-  ̄ )
お脳がパニックを起こしています。
“o(>ω< )o”“o( >ω<)o”
えぇーと…
そんなこと、わたくちやってました?
(; ̄ー ̄)…?
ぜんぜん記憶にございませんコトよ。
え? ( ̄Λ ̄)ゞ
カフェ公演の恐ろしいことは… シフト制。
(ノ≧ロ)ノギャーっ!!
その日によって演じるメンバーが違います。
…と言うことは?
昨日は右の振りをしていたのに、今日は左の振りをしなければなりませんっ!
そしてっ!
同じ役でも男役が演じる時と、娘役が演じる時がございますの。
………( ̄-  ̄ )
これってどう?
(/´Д`)/Heeeeeeeelp!!!!!
毎日、ものゴッツイ受験勉強を強いられているようです。。。
え?
ボケ防止?
…(; ̄ー ̄)……. そうとも言う。
今日の横浜探索は…
【岩亀楼つながり編*】
横浜球場に隣接する横浜公園。
その日本庭園の中に《岩亀楼の岩灯籠》が残っています。
ビジュー公演にも登場した《岩亀楼/がんきろう》は…
横浜公演の一帯は江戸時代の末期に埋め立てられ、横浜開港にともない、港崎町(みよざきちょう)と言われました。
そこには数多くの遊郭が開業し国際社交場として栄えたそうです。
岩亀楼はその中でも一二を争う大楼で、主に外国人向けに作られた実在した遊郭です。
贅を限りに作られたその建物は、入場料を取る見学ツアーまであったそうです。
港崎町の一帯は慶応2年の大火で焼失し、岩亀楼も類焼。
明治17年に廃業された時は永楽町にあったそうです。
この灯籠は明治初年頃のもので、貴重な文化財となっています。
《岩亀楼/がんきろう》と言えば…
露をだに厭う倭の女郎花
ふるあめりかに袖は濡らさじ
これは、岩亀楼の遊女が外国人と枕を共にすることを拒み、この辞世を残し、自ら喉を懐剣で突いて自害したというお話です。
この話は有吉佐和子さんの『ふるあめりかに袖はぬらさじ』という作品にもなっています。
この話が事実なのか逸話なのかは定かではないそうです。
が…
このお話の遊女が “喜遊(きゆう)” という名前なのは…
偶然ではないようです(笑)
で…
遊女と言えば……!
《岩亀稲荷/がんきいなり》です。
横浜市西区戸部町の岩亀横丁にあるお稲荷様です。
あいにくこの日は管理をされている方がお留守だったため、御参りすることが出来ませんでした…
残念っ!!
当時…
岩亀楼の遊女たちが静養するする寮がこの横丁にあったことから、このあたりを 「岩亀」と呼び、寮内にあったお稲荷様を《岩亀稲荷》と呼んだそうです。
遊女たちの信仰を集めたお稲荷様は、今も婦人病に御利益があると言われています。
ヒコさんのお墓といい、この岩亀稲荷といい…
公演に携わったスポットを巡る。
なんとも不思議な感覚でした。
お近くの皆さん!
また、機会がありましたら、ぜひ1度ヒコさんを巡るツアー訪れてみて下さいね!
さてさて…!
明日もなつきはカフェ三昧っ!!
お脳をフル回転させて…!!
頑張るぞぉ~ (* >ω<)=3